うたプリ二次創作

My name is AI 【藍春】

「レッスン始めるよ」

ボクがマスターコースのレコーディングルームのドアを開けると、そこには指導相手である七海春歌が、机に突っ伏して寝ている姿があった。

ため息が自然と出る。
普通に呆れた。

さすがのボクでも、まさか彼女が寝てる確率なんて予想してないよ。

予期せぬ事態はあまり好きではない。
興味深い結果に繋がることもあるけど、そこまでの過程で生じる不確定要素への不安の方が勝ることがほとんどだから。

「はぁ、人と約束してるのに、寝てるなんてありえない」

わざと口に出してみても、春歌の睡眠が途切れることはない。

この状況に対処すべき方法もはっきりと見当たらず、
「しょうがないな……」

気持ち良さそうに眠っている春歌に近づくと、机に置かれた楽譜のラフに目が止まり、手を伸ばした。

「ふーん、前回よりかなり音数増えてる」

そうわざとらしく口に出して、楽譜に見入った。


この後輩には、なんとも言えない光がある、と思う。

それは作曲家としての能力だけでなく、もっと大きななにか。

そこにいるというだけで、何か感じられるものがある。

それは、ショウやナツキのようなわかりやすい才能ではない。

すごく大きなものを内に秘めているのに、それが開花したかと思えば、また隠れてしまうような儚さが春歌にはある。

己の手で無理矢理引き出すには恐れ多いような、かといって少しずつ開いていくのを待っているのは待ちきれないような。

一人の人間に対してこんなにも抽象的な印象を持ったことは無かっただけに、春歌の存在はかなり特別なものとなっている。


『もう少しくらい気が強くないと、この業界では生きていけないのに』


そう思う時点で、ボクは彼女の才能に惹かれてるのかもしれないけどね。それは認めるよ。


そう思索しながらおもむろにページを捲っていると、隣で突っ伏していたハルカがもぞもぞと動き出した。

「……目が覚めた? ハルカ」

そう声をかけると、ハルカはむっくりと起き上がり、トロンとした目をボクに向けた。

「お早う。起きたなら始めるよ。4分24秒もロスしてるんだから」

それでもハルカはまだ意識が覚醒しきっていない様子で、寝惚け眼。


「ほら、今度のコンペの曲仕上げて、」

「……あぁ、藍くんだ」


……藍くん?
ボクの言葉を遮ったハルカの耳慣れない呼称に、ボクの思考が止まる。


しかし、そう口にした本人は、ふわっと眠たそうな笑みを浮かべながら、再び瞼を閉じようとしている。

寝られては困る。
「ハルカ!」

肩を掴んで前後に軽く揺すると、

「うー、なんですか、藍くん……」

またそう口にして、眉をひそめてむずる。
記憶の限りでは、ハルカはいつもボクのことを『美風先輩』としか呼んでいないはずだった。

なぜ突然「藍くん」にギアチェンしたのか……

仕方ないので、今度はハルカの目の前でピシャリと手を叩くと、流石に目が覚めたようで、ハルカは大きな瞳をしばたたかせた。


「わっ、お早うございます、美風先輩」

「……」

ボクは眉間にしわを寄せる。

「え、あ、私ったら約束していたのに寝ちゃったみたいですみません!」

そう言ってハルカは頭を下げるが、問題はそこではない。

「そうじゃなくて」

今度はハルカは可愛らしく首を傾けた。


「?」
「……今、ボクのことなんて呼んだ?」

「え、美風先輩、って」

「その前。寝ぼけて口走った方。普段キミ、ボクのこと『藍くん』って呼んでるね?」


そうボクが口にした途端、彼女は顔を赤く染めて、自らの口を押さえた。

「とっさに口に出すなんて、普段から呼んでる証拠だよ」

「すみません、勝手に……」

ちょっと俯き、

「イヤでしたか?」
それでもそう上目遣いで問いてくる。

「イヤじゃないけど」

けど、何なんだろう。彼女に名前を呼ばれて生じるこの感情は。

レイジに『アイアイ』と初めて呼ばれたときの、言い様のない諦めとはまた違う。

「師弟関係なんだし、ちゃんと上下をつけた方がいいでしょ」

「でも、美風先輩の方が年下ですよ」
ハルカは不満そうに口を尖らせる。

「それはそうだけど……」それを言ったら色々おしまいじゃないだろうか、この師弟関係は。

師匠が年下で、しかもロボットなんて。

「わざわざボクのこと名前で呼ぶメリットはないでしょ」

すると、ハルカは少々思案し、
「先輩のお名前、素敵ですよね」
「ハァ?」

突如誇らしげにそう言ったので、無遠慮な声が出た。

「なんでそうなるの」
「いい名前ですもん」

いい、名前?
名前に良いも悪いもあるのだろうか。
意味不明。

混乱しきるボクを前に、なぜかハルカが勝ち誇ったような顔をしているのが気に食わない。


「素敵な名前だから、私は先輩を『藍くん』ってお呼びしたいんです!」

「……無駄な三段論法だね」


でも、ハルカが自分の名前を口にすると、胸の奥がキュッとなる奇妙な感覚がする。

そういえば、ボクを下の名前で呼ぶのは、唯一博士だけだ。

慣れてないんだ、他人から名前を呼ばれるなんて。


「理解できないね。名前なんてただの符合さ。自分と認識できるものならなんだって同じだね」

「それはそうかもしれませんけど」

ハルカは懲りずに食い下がる。

「音も素敵ですし、中性的なところもお似合いです」
「『あい』なんてよくある名前じゃない。中性的なのはボクが元々そういうコンセプトで作られたんだから、当たり前だね」

「でも、素敵ですって」


名前呼びの方が、仲良くなれる気がするじゃないですか。

そう、ハルカは最後に小声呟いた。

「意味わかんないよ……そもそも、ボクの名前は……」

名前。
人にとって価値あるものという認識はあったけど、それはボクにも当てはまるのだろうか。

「博士が付けられたんですか? それとも社長が?」
「……美風って名字を付けたのは、シャイニング早乙女。藍っていうのは、一応博士」

「一応……?」

首をかしげるハルカに、ボクは口を濁らせる。


藍っていうのは、いつからボクのものだった?

今なら……?



それは、ボクがただの「AI」だったころのお話。

『AI(エーアイ)。どうだい、聴覚を手に入れた気分は』

『わりと想像通りだったから、特になんとも思わないよ』

『つまらないやつだなぁ』
『……強いて言うなら、博士の声音が予想よりも良かったよ。もっとダミ声だと思ってたけど』

『お、珍しくAIが褒めた』
『別に褒めてない』

『まぁいい。AI言語認識システムも良好、っと。』

『ふぅ。色々いじくられて変えられるのも面倒くさいね』

『まぁそれはしょうがない。お前はそういうAIなんだから。強力なバックアップがついたし、きちんと働けるようにならないとダメだろう』

『アイドルねぇ……人工知能にアイドルをやらせるなんて、可笑しなことを思いつく人もいるもんだよ』

『そうだな。……そうだ、昨日そのアイドル様にお前の名前を尋ねられたんだが、答えられなかったんだった。俺としたことがすっかり忘れてた』

『……名前? 誰の?』

『お前のに決まってるだろう。確かに、AIって名前じゃないし』

『……』

『アイドルなのに、名前がないのもあれだろう。いや、それ以前の問題か。とにかく、お前らしい名前ねぇ……』

『別にいらないよ、名前なんて』

『いや、お前がもっと広い世界に出ていくためには必要さ』

『……ボクの、名前』

『んー、ここにきて全く新しい名前にするのもなぁ……じゃあ、「アイ」でどうだ』

『……アイ?』

『AIのローマ字読み。』

『……簡単過ぎない?』

『いいじゃないか。名は体を表すって言うだろう? それに、お前は「アイ」ドルになるんだし』

『なにそれ、言葉遊びのつもり?』

『よし、これからお前はアイだ。よろしくな、アイ』

『……聞いてないし』



「藍っていうのは……初めは、AI―artificial intelligent―の略だったから」
「人工、知能ですか……」
「ボクは所詮は集積回路の塊でしかないからね」

そう言いなしたけど、返事は期待していなかった。

それでも、ハルカは顔を上げる。

「いいですね、『名は体を表す』って言葉」

「え……」

――本当にキミには、予想をいつも裏切られる。


ハルカは穏やかに微笑んだ。
「藍くんはみんなに『愛』されるアイドルですから」
「キミも博士の真似? 愛なんて、知らないよ」

キミと話していると、ついキミの言葉に反抗したくなるときがある。


「そうですか? ……例えば、私は藍くんのこと愛してますよ」

大胆な発言に驚いて顔を見据えると、ハルカはいたずらっ子のように微笑んで、
「だって、藍くんはかっこよくて、厳しくて、でも実はすごく優しい私の大好きな――、先輩ですから」

――ほら、また誇らしげな顔して。

「先輩愛、ね」

あ、わかっちゃいましたか?
ハルカは楽しげに微笑む。
「分かりやす過ぎでしょ」
でも、確かにそれも一種の愛に違いない。


「藍くんのファンの皆さんが、藍くんを応援してくれるのも、寿先輩や黒崎先輩が藍くんに接するのも、みんな『愛』ですよ」

すがすがしいほどにそう言い切るハルカに、ボクの中のモヤモヤも少し消えていく気がした。

「キミって、ぼけぼけなくせに、時々鋭いこと言うよね」

「そうですか?」


なんだ、ボクが探してた「アイ」は、けっこう身近に転がっていたのか。


じゃあ……
「ボクも、キミのこと愛してるよ。――後輩としてね」

ボクがそう告げると、ハルカは驚いたように息を飲んだ。

「藍くんがそんなこと言ってくれるなんてびっくりです……」

「まぁ、ね」

自分がこんな言葉を口に出せる日が来るなんて、キミに会うまでは思いもしなかったのに。

「藍くん?」
ハルカがボクの顔を覗き込む。

そういえば、ハルカはボクのことをすっかり『藍くん』呼びだ。


でも、ボクに名前をもう一度与えてくれたから、そのお礼ということにして、許してあげようかな。

「雑談はここまでにして、レッスン始めるよ」

「ハイ、藍くん!」
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君の体温【藍春】

35.5。

ただの装飾の数値。


ボクの中はたくさんの数字で溢れてるから、普段はこんな値なんて意識してはいられない。

でも、君に会ってからだよ。






ハルカ。


彼女の部屋でいっしょに曲を作ってて、空はいつの間にか真っ暗になってた。
出来上がったMP3ファイルを聴き終えてから、イヤホンを外してハルカに声をかけると、返事はない。

ハルカの方に向きなおると、彼女は既にソファーの上で寝息を立てていた。
もう一度名前を読んでみたけれど、ピクリともしない。熟睡しているみたいだ。

今日は一日作曲漬けだったから、ハルカは相当消耗していたんだ。

それを考慮しないで、いい曲ができそうだと熱中していた自分を恨む。


でもこんないいデモを聞かせられたら、触らないまま休むなんてできそうもなかっただろうし……


職業柄、というかボクのプログラミング的に、音楽には関心が強いけど、何よりもハルカとボクの曲、という要素がボクを突き動かす。

彼女の動き一つ一つがボクの感情に作用する、なんてそんなこと今まで全然なかったことだから、始めはボクもものすごく動揺して博士に相談したりした。


でも、博士は
『いやー、それは喜ばしいことだよ、藍』
とか言ってニヤニヤするだけだった。
ムカツクから博士に相談するのはそれっきりやめちゃった。

まぁ後で博士が言ってた意味を自分で気づけたんだから、特に問題はないと思うのだけど。
でも、やっぱり普通の人間に比べたら、遠回りだったかもしれない。


ハルカは子猫のように手足を丸めて寝ていた。
何とも可愛らしいけど、このままソファーで寝てたら風邪を引いちゃうかもしれない。

額に触れても、髪を梳いてもハルカは目を覚まさない。
ボクはハルカの軽い身体を抱き上げた。


ボクの体中のセンサーが反応する。

【36.63】

【ヘイジョウチ+1.63】

わかってるから、黙っててくれないか。




『美風先輩の手、冷たくて気持ちいいです』

ハルカがそう言ったのは、彼女が熱を出したとき、ボクが額に手を当てたときだっけ。



ハルカの安らかな寝息がボクの顔をくすぐる。
肌が触れたところから、ボクはわかっちゃうんだ。

【67 beats per minute】

脈拍なんて、ボクにはない。
あるのは、ヒトを模倣した心音だけ。



「おやすみ、ハルカ」

彼女をベットに横たえて、ボクは部屋を後にする。



外は北風が冷たい。
彼女の温もりが、どんどん逃げていく。

【36.02】

【ヘイジョウチ+1.02】



こんなカラダなんていらないのに。




〈キミトオナジニナリタイ〉





【35.72】

【ヘイジョウチ+0.72】



これ以上君の体温が消えないように、ボクは自分で自分を抱きしめた。

piece of rainbow

『ねぇ、お母さん。ぜんぜんできないよ』

『あら、あきらめずに一個一個試してみなさい。きっとどれかが上手くいくはずよ』

小さい頃に持っていたジグソーパズル。
幼児向けのアニメのキャラクターものだったことは覚えているが、どんな絵柄だったかは今ではもう定かではない。


 *
『ホントのお前って一体誰?』

ハッと音也が目を冷ますと、自室のカーテンの隙間から見える外はまだ真っ暗だった。
手探りで枕元の携帯電話を取ると、待受画面のデジタル時計は午前3時を指している。
最近は、学園を卒業してから幾ばくか経ち、音也たちのアイドルとしての働きも少しは板についてきた。
その日はバラエティー番組と雑誌の撮影があり、音也が寮に帰ったのは日付を越えた頃だった。

明日も仕事あるし、今日はちゃんと寝てたいんだけどな……

音也はいやな汗でぐっしょりと重くなったスウェットを脱ぎ、ベッドの上に脱ぎ散らかしていたトレーナーをかぶって再び毛布を被った。

ここ最近、忙しいせいか、よく悪夢を見る。
それはいつも、どんなものか、と聞かれても答えられないような、薄ぼんやりとしたものだった。「何か」に問い詰められるという、恐怖よりも焦燥感が勝る悪夢。

何に焦っているのか、自分で自分がわからない。
夢を見る頻度はだんだんと高くなってきて、ここ数日は、一晩に何回も目が覚めてしまい、ほとんど寝れて。

―『ホントの自分』

あー、寝れない。

さらに悪いことに、音也も春歌も忙しく、壁を隔てて隣の部屋にいるというのに、ここ二週間も春歌に会えていない。
音也がアイドルの階段を上るのと同じくらい、もしかするとそれより早く、春歌は作曲家の道を進んでいる。最近はテレビCMなどの単発の仕事がかなり入ってくるようになり、なにかと打ち合わせなどで部屋を空けることが多かった。


春歌の支えなしには、自分の世界のピースが、内側からバラバラになって崩れてしまいそうだった。

……そろそろ会わないと、俺、ヤバいかもしれない

何でもいいから会いたいよ……

電話を掛けてみようかと思い、ケータイを掴むが、待受画面のアナログ時計に躊躇させられる。

―『ホントの自分』

……やっぱり寝よう。
音也は携帯電話をを放り出して、もう一度毛布をかぶり直した。



―次の朝。
やはりなかなか寝付けず、睡眠不足のまま、現場に向かう。
春歌には、今日もまた「行ってきます」のメールしか送れなかった。

この日の仕事は、今年度早乙女事務所に入ったアイドルの卵(つまり音也、トキヤなど7人)で集まっての特集トーク番組だ。フリートークの他、各人のソロ曲を披露したりする、なかなかに力の入った企画だった。
といっても、この面子で話をすることは特に意識しなくても自然とできることだから、そういう点では楽な仕事の方だったと思う。

「それで、お部屋にたーくさんピヨちゃんを飾っていたら翔ちゃんが……」

「那月、もう俺とピヨちゃんの話はいいから」

「そうですか~? あ、そうだ! 今度出るピヨちゃんのぬいぐるみの新シリーズがですね、」

「お前は少しは人の話を聞け!」

「翔。四ノ宮さんには言っても無駄です。諦めなさい」

「ナツキはいつもピヨちゃんの話をしていますね」

「いやぁ、全くシノミーの天然っぷりにはいつも呆れを通り越して感動させられるよ」

「その意見には多いに同意だな」

自然に進んでいく会話の波。
しかし、音也はその中で妙な違和感を感じ、周りが話すのに合わせて微妙にずれた相づちを打つことしかできなかった。

あれ、俺っていつもカメラの前でどんな感じで話してたっけ。

スタジオにいる自分がどこか遠くに感じられる。

女性リポーターが6人のあまりにも勝手なトークに苦笑しているのを見て、乗じて笑ってみる。

どんな風に、笑ってたっけ。

いつも意識しなくても簡単にできることができない焦燥。

違う、何かが違う。

ピースがバラバラらと落ちていく。


何も喋れないうちに、お題が変わる。
「では、次はみなさんにアイドルになりたいと思った理由をお聞きしたいと思います」

はいっ、と翔が威勢よく手を上げる。
「では、来栖くん」
「俺は、小さい頃に見てたケンカの王子様ってドラマがめっっちゃ好きで、ケン王役の日向先生に憧れて、アイドルになろうと思ったんです」

そう言ってはシュッと空手の突きを空中に繰り出す。

「ケンカの王子様! 私もあのドラマ大好きでした。ケン王の、あのあふれでる男気がかっこいいんですよね」

翔とリポーターの会話に花が咲く。
―『ホントの自分』
また聞こえる。

―『何故ここにいるのさ』……うるさい

収録中も口を開かない音也を、隣の席のトキヤがじっと見つめていた。



*
「じゃあ音也くん、虹色☆OVER DRIVE! の準備してくれる?」

ADの声に顏を上げると、ぼんやりしているうちにフリートークが終わっていた。

「音也、大丈夫か? 今日調子悪そうじゃね? なんか全然しゃべってなかったしな」
横から翔が顏をのぞきこんできた。

翔の青い瞳に自分の顏が映り、音也は翔から目を逸らした。

「え、あぁ、今日ちょっと寝不足で……ありがとね、翔」

笑ってごまかすと、わざわざ音也の横をすり抜けるような足取りでスタジオへと向かうトキヤに、頭をぽんと叩かれた。

「健康管理もアイドルの基礎ですよ。ちゃんと寝なさい」
そう言って音也を睨む。

「わかったわかった、今日はちゃんと寝るよ」

そう言うと、翔はまだ少し不安気な顏を、トキヤは厳しい顔をして、二人は去っていった。

「体調悪いの? それなら曲の収録後に回してもいいけど」

会話を聞いていたADも、声をかけてくる。

「いえ、大丈夫です。いけます」

しゃべれてなかったこと、二人にはわかっちゃったのか……

「そう? じゃあいつもみたいに笑顔でよろしくね」

ADの声に、ふと、春歌の声が聞きたくなった。




虹色☆OVER DRIVEは、春歌と作った大好きな曲なのに、どこか歌詞が上滑りしていった。

「自分らしくあるため」

作ったときは何とも思わず書いた歌詞も、自分で自分に刺さる。

ごめん、春歌の歌なのに、上手く歌えないよ……

音也のマイクを握る手が震えた。
いっそのこと何も考えずに、脊髄反射で歌ってしまおうと思うと、ふと先ほどのトークのお題が頭に浮かぶ。

「アイドルになりたいと思った理由」

自分のものといえば、「父さんと母さんに気づいてもらえるかもしれない」ということ。

そう。父さんと母さん。

でも、それって別にアイドルじゃなくてもいいんじゃなかったのかな。アナウンサーとか、政治家とかでもよかったんじゃないのかな。

翔の「日向龍也に憧れて」とか、トキヤの「本当に歌が歌いたかったから」とか、そういう強く「アイドルに」なりたいという理由が音也にはない。
彼らが瞳を輝かせて理由を語る姿を見ていると、どこか不安になった。

……なんで春歌の歌歌ってるのに、俺こんなにマイナス思考なんだろう

変に冷たい汗が背中を流れ、視界が霞む。
音也の意識の中で、最近取材を受けた雑誌の、インタビュアーの台詞が浮かんできた。


『一十木くんは孤児施設で育ったということだけど、……』

あぁ、そうか。
だから、寝られなくなったのかな、俺。
わかっていたけどさ、でも……

パズルが、崩れる。


頭が急に重くなって視界がまわりだし、音也は吐き気がして舞台上に座り込んだ。

突如その場は騒然とし、ディレクターの指示によりカメラが止まる。
その間に舞台袖から楽器の合間を縫ってやってきたトキヤが音也に肩を貸し、速やかにスタジオから出ていった。


*
「……ヤ、音也」

名前を呼ぶ声に目を開けると、視界に金髪が飛び込んできた。

「あ、起きたな。……やっぱり体調悪かったんじゃねぇか! 無理すんなよな、まったく」

そう説教しつつも、翔は音也のずれた毛布をかけなおす。
音也は自分達の楽屋のソファーに横にされていた。

「睡眠不足で倒れるなんてあり得ないぜ。健康管理もアイドルの基本、ってさっきトキヤも言ってただろ? 言ったそばからこれだもんな。さっきまではあいつがお前を見ててくれたんだぜ」

「うん、ごめん。ありがとうね。後でトキヤにもありがとうって言っとくよ。翔の出番は大丈夫?」

「俺はもう撮ったから気にするなって。それで、ディレクターさんに言われたんだけど、お前の曲は取り直しになるみたいだから」

「そっか……」

音也は軽く頭を振った。
まだ鈍い痛みが残っている。

「まぁまだ呼ばれないだろうし、もうちょい寝てな」
翔がもう一枚毛布を持ってきたので、音也はそれを被って目を閉じた。

「まだ顔青いな。収録終わるまでは、帰るってわけにはいかねーけど、……春歌に連絡しとくか?」

翔がそう言って携帯電話を取り出した途端、音也は毛布をはね除け、翔の手を取った。

「春歌には、電話しないで……」

わがままだとわかっていても、そうせずにはいられなかった。

翔は音也の勢いに目を見開く。そして、何か納得したようにため息をついて、

「お前ってさ、好きな子にカッコ悪いとこ見せられないタイプ?」
「えっ……」
「絶対そうだろ。春歌にぶっ倒れたなんてカッコ悪いとこ見せたくないだけだろ?」
「……そうかも」

でも、それだけじゃない。今この状態で春歌に会ったら、春歌には自分の中身が全て見透かされてしまいそうで。
心が削れて透けてしまった自分の中の最も奥にある痛みを、春歌は受け止めてくれるだろうか。

すると、翔は音也の目をまっすぐに見据え、

「俺もそういうとこあるから気持ちはめちゃくちゃわかるけどさ、そういうのやめた方がいいぜ。最近お前、疲れ溜まってるよ」
「そう見える?」
「ん」
首を立てに振る。

「それに春歌だって、お前のこといつも心配してるだろ。お前の勝手なプライドで黙ってても、春歌が余計気を揉むだけだぜ」
「……」

音也は何も答えられなかった。
翔は苦笑し、

「とりあえず寝てろよ」
音也はため息をついて、再び横になった。


「そういえばこの前翔のお父さんに会ったよ」
微妙な雰囲気を変えようと、寝た格好のまま音也は話題を変えた。

「えっ、マジ? どんなタイミングで?」
「俺が楽屋で取材中に、突然おっさん――シャイニング早乙女が入ってきてさ、『チャーント仕事をしてるか見に来ましたヨヨヨ』とか言って居座ったときに、シャイニングといっしょに翔のお父さんがいたんだ」

翔が、なんだよそれ、と笑う。音也もいっしょに笑った。

「俺の父さん社長のスタイリストやってるからな。でも紹介したこと無いのによくわかったな」

「だって、目のあたりとかめっちゃ翔と似てるんだもん」

そう自分で言って、あぁこの話題もダメだと気づき、音也は何かに打ちのめされ、寝返りをうって横を向く。

「父さんに似てるってのはよく言われんなー。でも背が低いのも割と父さんの遺伝だから、その辺は複雑だな」
苦笑する翔に、痛みにも似た羨みを感じる。

『父さん』『遺伝』。

「まぁ性格的には、薫の方が父さんには似てるか。俺は母親似ってよく言われるからな」
「……」
「バイオリンとかも母親の影響だし。……?」

音也の返事が鈍くなったのに気付いた翔は、ハッとして、

「……わるい」
下を向き、俯いた。

「お前の生まれ、知ってんのにこんな話して……」
「いいよ、こっちこそごめんね、黙っちゃって」

翔とは同い年で、よく遊んだりもしているけれど、一緒にいていつも思うのは、しっかりしているな、ということ。
決めたことはきっちりやるし、責任感も強い。そしてなにより、友達思いで、いろいろと気が回る。
今のシチュエーションで俺が翔だったら、空気読めずに喋り続けちゃうかも。

そんな翔にだから、自分の思いを話してみようと思った。
音也は再び寝返りを打って翔の方を向く。

「俺さ、親がいなくても寂しいって思ったことはみんなが思うよりはなくて……施設のみんなともめっちゃ仲いいし、先生も優しいから、大人数な分むしろ普通の人より楽しいんじゃないかとも思ってたんだ」

翔は黙って聞いている。

「でもさ、親がいないっていうのはそれでもよかったんだけど、自分のルーツが全く探せないってのはキツいなって、ある程度大きくなってから思うようになったんだ」

「……ルーツ?」

「これはお父さんの遺伝って言えるものとか、もっと言うと、俺のものの考え方のベースっていうか」

昔から抱えていた思いでも、改めて言葉に表すと、すんなり自分に戻ってくるようで、音也の口調は熱を帯びる。

「例えばさ、……翔はいっつも、日向先生に憧れてアイドルになりたいって言ってるけど、」
音也は収録のときに思ったことを翔に尋ねてみた。
「へっ、何だよ、急に話変わるな」

それでも気にせずに音也は続ける。

「ケン王に憧れたって心がアイドルになりたいっていう思考に繋がったのは、やっぱり家族が芸能界にいたから、アイドルが身近に感じられたってのがあると思うんだ」

「まぁ、そうとも言えるけど……でも、それって別に家族からの影響じゃなくてもいいんじゃねーか? 血が繋がってなくても影響されることくらいあるだろ」

「それはそうだけど……でも、世界で一番考え方が似てる人ってやっぱり家族だと思うんだよね」

天涯孤独の身。
施設にいても全然寂しくなんてないというのは強がりではないけれど、この世で血が繋がってる人を知らないっていうのはやっぱり辛い。

「俺には、父さんも母さんもいないんだ。母さんの記憶なんてほとんどないに近いし」
翔は押し黙る。
前に翔にも話したことがあったけれど、この話をすると、大抵の人が何も言わなくなる。


音也は小刻みに震える手を握り込む。
「……そしたらさ、この前雑誌の取材だって聞いて行ったら、ある番組の企画を聞かされてさ、」

結局そう話す声が震えてしまった。
もうこの件は乗り越えたつもりだったけど、自分の中ではちっとも消火されずに残っていたのだと気づく。

『一十木くんは孤児施設で育ったということだけど、……』

「どっからか、俺が孤児だってことがわかったらしくてさ。『あなたの本当のご両親を探してみませんか』だってさ」

翔がハッと顔を上げる。


『最近テレビの露出も増えて、世間に大分認知されるようになってきてるし。一十木くんにも、ここで一発知名度上げるいい機会だと思うんだけど』
そう語る番組ディレクターは目を輝かせていて。

お父さんに、お母さんに会わせてあげるわよ。
あなた、可哀想なんだから。

「めちゃくちゃ腹が立ってディレクターに向かって切れそうになったけどさ、」

仕事だからと割り切ってカメラの前でさらけ出した自分の過去が、お涙頂戴のドキュメンタリーに書き換えられる。それを耐える見返りに、知名度を得るだって?

「俺の母親は飛行機事故で死んだんだし、父親は生まれたときからいなかったんです。俺の家族は施設のみんなだけです」

何度もそう言おうとしたけど、できなかった。

「駆け出しアイドルだから仕事は断れないってのもあったけど、本当はやっぱり俺自身が父親に会いたいって思ってるから断れないのかも、とか思って頭がぐるぐるしちゃったんだよね」

「それは……、」
翔の眉間にしわが寄る。

「……結局断ったんだよな?」
険しい顔で尋ねる翔を見て、音也の震えは少し収まった。

「うん。っていうか、俺が返事ができなくって固まってるうちに、おっさんがバリーンって窓ガラス割って入ってきたんだ。それで、『仕事の話は必ず事務所を通してからだ』ってかなりマジな感じで言ってさ、そのテレビ局の人はびびって帰っちゃったんだ」

「そっか。なら良かった……」
「ごめん、なんか嫌な話して」
「いや、お前と腹割って話せて良かったよ。……同い年なんだし、これからも色々大変でも俺様になんでも相談しろよ」

そう言ってニカッと笑う翔はかっこよくて。
「うん。お互い頑張ろうな」

音也も素直に微笑んで、翔と拳を合わせた。



*
音也のソロ曲の撮り直しも無事に終わり、今回の企画は終了した。まだそれほど遅い時間ではなかったが、音也の体調も鑑みて、一同はそこそこに帰途に着いた。


音也が寮の自宅のドアを開けると、家主が不在にも関わらず室内には明かりが灯っていた。
不思議に思って家に上がると、食欲をそそる香りが漂う。

音也がリビングの方へ向かうと、そこには明かりをつけたまま食卓に突っ伏して眠っている春歌がいた。
彼女の横には、大きなカレーの鍋がある。

テーブルに頬をあてて眠る春歌は、音也が部屋に入ってきたことにも気づかない。

カーテンが引かれ既に闇に包まれた部屋の中で、オレンジ色の電球に暖かく照らされた春歌の姿は、まるで夢の中の風景の一つの様に感じられた。

音也は無意識のうちに春歌の髪に触れる。
かすかに香るシャンプーの香りに、春歌に会えたという実感が伴って、涙が出そうなのを必死に耐える。

「春歌」
声をかけても、彼女はむずるだけで。

「春歌、春歌」
堪えきれずに覆い被さるように抱きつくと、春歌はその睫毛を震わせて、ゆっくりと目を開けた。


「あ、……音也くん」
寝起きのためか、ふにゃりとした笑顔を向ける。
「ただいま」
抱きついたままそう答えると、
「おかえりなさい」
春歌からも抱きしめ返してくる。

幸せが溢れだして、心に染み入っていくような気がした。

「音也くんが帰ってくるって聞いて、たくさんカレー作ったんだよ。あ、でも具合悪かったらお粥もあるけど」

「え、誰から聞いたの、それ」
「一ノ瀬さんからメールが来て」
「……何それ」
せがんでそのメールの文面を見せてもらうと、

『今日の撮影で音也が貧血らしき症状で倒れました。どうやら睡眠不足のようです。今撮影が終わりましたので、一時間ほどで寮に帰るはずです。たまには会ってやってくださると助かります』


「トキヤ……」

先ほど翔に言われたことを思い出す。
『俺もそういうとこあるから気持ちはめちゃくちゃわかるけどさ、そういうのやめた方がいいぜ』

無意識に、笑みが浮かんだ。

俺の世界は、いろんな人に支えられてできてるのかな。

ADさん。ディレクターさん。翔、トキヤ、力強い仲間。同時にライバル。
そして、何よりも大切な人。

ピースが一つずつ、もとある場所に帰っていく気がした。


「そうだ、さっき音也くん宛に小包が来たよ。居留守使うのもなんだから、受け取っちゃった」

そういって春歌が持ってきた包は、音也の施設からのものだった。
開けると、中にはジグソーパズルが入っていた。

『倉庫の中から出てきたものです。名前が入ってたので、ここに入るときに音也が持ってきたものかな?
とりあえず送っておきます。からだに気を付けて、仕事頑張ってね。施設みんなで応援してます』

「古いパズルだね・・・。なんかのキャラクター?」
春歌がピースを手に取って眺める。

「うん・・・・・・
 小さいころに、母さんに買ってもらったんだ」

幼いころはあれほど難しかったパズルも、今では一瞬で完成してしまう。
それでも、ピース一つ一つを大切に手に取っていく。

「わー、虹の滑り台ですね」
「うん」


ねぇ、お母さん。
俺、作れるようになったよ。
パズルも、俺の世界も。

トキ春 遥か

トキ春小説第二弾。
「星屑shall we dance?」ネタです。


春歌の部屋で二人で夕食を取っていると、付けっぱなしのテレビから聞き覚えのあるメロディが流れてきた。二人は同時に食事の手を止めて、30秒足らずのCMを緊張した面持ちで見つめる。

 『ハートリング、新発売』

 宣伝文句が流れ、画面が次のCMに切り替わると、トキヤは無意識に止めていた息を吐いた。
「意識的に見たことはありましたが、偶然に見たのは初めてでしたね」
 やはり少しは恥ずかしいもので、トキヤは微妙に目線を春歌から外してそう言った。
「そうですね……急に流れて驚きました。Bメロから流れるとインパクトがありますね」
 春歌も少し顏を赤くしている。

 なんとなく沈黙。

 トキヤは何も言えずに、黙々と目の前の食事に向かう。
 やはり、テレビに自分のものが流れるというのは未だに慣れない。
 HAYATOのときは、HAYATOのキャラクターを演じればいいだけだったから、それは「HAYATOの」もので、「自分の」もの、という感覚はどこか稀薄だった。
 しかし、今回のCMは、全くの自分自身のものであり、何より春歌と共に、紆余曲折あって、大変に苦労して作った曲だから、思い入れもひとしおである。

 トキヤが感慨にふけっていると、春歌が下を向いてつぶやくように、
「……やっぱりかっこいいです、一ノ瀬さんは。イケメン、というよりハンサムというか」
このCMもすごくロマンチックです、と告げる。
 また顏を赤らめる春歌に、目線を合わせられない。
「お姫様にお褒めいただいて光栄ですね」

 またしばし沈黙。
 ……恥ずかしくて顏を見られないなどらしくもない。
 トキヤはしっかりと春歌を見据え、何か言おうと思い、
「このCMではカットされていますが、私はこの曲のAメロも好きなんです」
『遥か 時を越え』
 と、その歌詞を口ずさんだ。その途端、向かいに座っている春歌の顏が耳まで赤く染まる。
「どうしましたか? そんなに顏を赤くして」
覗き込むと、春歌は自分の頬に手を当てて、
「……歌詞が」
やはり目を逸らしてつぶやく。
「その『遥か』って歌詞が、いつも気になっちゃうんです。……自分の名前を呼ばれてるみたいで」
全然意味は違うんですけどね、と語る春歌はとても愛らしい、と純粋に思った。

はるか。
春の歌。
「なるほど。それは気付きませんでした。この歌を聞くたびにそう思っていたのですか? かわいい人ですね」
 躊躇いがちに頷く春歌を見て、思わず笑みが漏れる。自分がこんなにも穏やかな表情をできるのは、春歌の前だけだと強く思う。
「初めて一ノ瀬さんが詩をつけて歌ってくださったときに、ドキッとしちゃって」
「君を思っての歌ですから、それは本望ですけど……そう、確かに『はるか』ですね」
 そう名前を呼んだ途端、二人の目線が合い、トキヤは微笑む。
『春歌』
 また目を逸らそうとするので、もう一度名前を呼ぶと、その度に赤くなる春歌が可愛らしくて、ずっとずっと呼んでいたくなる。

はるか。
春歌。

「いい名前ですね。春の歌。君にぴったりですよ、春歌」
また赤くなる。
「……一ノ瀬さん、その……」
「そんなに私に名前を呼ばれたかったのですか? 君が望むならいくらでも呼んであげますよ、春歌」
「ううっ……」
「そうですね、君がそう言うのでしたらこの曲がCDになったときには、歌詞カードを変えておきましょう、春歌」
 わざと名前を連呼すると、春歌は赤く顏を染めたまま、トキヤを睨み付け、
「……トキヤさん」
 言い終わると更にゆでダコのように真っ赤になった。
 トキヤは、少し遅れてから、柄でもなく自分の顏が赤くなるのを感じる。
「……お返しです」
 少し上目使いでそうつぶやく春歌に、この顏を見られないように。トキヤは急いで目の前のシチューをかっ込み始める。
「い、一ノ瀬さん?」
 驚く春歌をよそに、顏の赤みが取れるのを待つ。
 ……本当にらしくもない。でも、あなたのおかげで、こんな自分も好きになりました。
「あなたも早く食べてしまいなさい。そしたらいっしょにCDでも聞きましょう」
 そして、もう一度私の名前を呼んでください。
 あなたの声で呼ばれると、自分の名前が何十倍も、何百倍も好きになるんです。


トキ春 卒業

ピクシブに上げてるトキ春小説です。


最後のおはやっほーニュースの収録が終わり、私はまだ泣いている春歌を連れて帰途に着いた。

「……一ノ瀬さん」
 部屋まで送ると、春歌は部屋の奥からとても大きな段ボールとMP3プレーヤーを出してきた。
「……もうHAYATO様からは卒業だから、私もこれを片付けた方がいいでしょうか」
 見上げた目は、まだ赤い。
 段ボールの中身はHAYATOのCD、ライブDVD、写真集etc……
 どれも満面のHAYATOスマイルをキメている自分の顏が写っている。
「なるほど。だから引越しのときに私にこの段ボールを触らせなかったんですね」
 隣に腰掛けると、春歌は少し俯き、こくんと首を振る。
 寮への引越しでお互いの手伝いをしたとき、春歌はこの段ボールを『それだけはダメですっ! 自分でやります』と言ってすぐに隠してしまったのだ。
「どんな恥ずかしいものが入ってるのかと思えば……」
 てっきり春歌の小さい頃の写真とか日記の類いだと思っていたのにまさか自分のものとは。
 春歌は俯きながら、
「一ノ瀬さんはHAYATO様じゃないんだし、卒業したし……なのにパートナーがまだHAYATO様のものたくさん持ってたら嫌かなって思って……」
 そう言って縮こまる春歌が愛しくて、手がのびてしまいそうになる。
「別に嫌ではありませんよ」
 確かにたくさんの自分の写真が一度に並べられているのを見るというのも奇妙なことだが、でもむしろ……
「むしろ嬉しいです」
「へっ?」
 春歌が目を丸くする。
 箱からCDを取り出すと、かなり初期のものの初回限定版や、それの通常版、販売部数が少なかった雑誌、おはやっほーニュースのDVDまであった。
「すごいですね。私の事務所よりも多いかもしれません」
 春歌はHAYATOのデビューシングルを眺めている。
「私が嫌かもしれないと思って悩んでいたなら、私に相談などせずにどこかへやってしまえばよかったではないですか。でもあなたはそれでも捨てられなかった、でしょう?」
「……はい」
「あなたはHAYATOがデビューして早くから、こんなにも私のことを愛してくれていた」
 更に俯く春歌の肩に腕を回す。
「おはやっほーニュース第一回を見てから、ずっと大好きだったんです。友達が少なくて寂しかったけど、HAYATO様の笑顔を見ていれば大丈夫だったんです。だから……」
 また泣き出しそうになる春歌を抱き寄せた。春歌も私に体重を預けてくる。
「大切だから、捨てられないんです……」
 春歌の目から、涙がこぼれる。
「HAYATOをこんなにも愛してくれてありがとう。それに、HAYATOは消えても、それでも私の中に生きていますから」
ーそう、『一ノ瀬トキヤ』の中の『HAYATO』として動いていた時の記憶、感情も積み重なって、それが今の自分になる。
「あなたが私のことを画面越しながらずっと前から愛してくれていたとは、素敵なことではありませんか。それに、私のHAYATOとしての時がなければ、君が早乙女学園に入学して、私と出会うことは無かったでしょう?」
「そう、ですね……」
 春歌が顏を上げる。
 そして何か思いついたように、
「私は、HAYATO様の曲を作る、って夢があって入学して、それが今は一ノ瀬さんの曲を作れる。でも、なんていうか……」
「なんていうか?」
 春歌は少し考えて、
「HAYATO様が一ノ瀬さんだって学園祭の時に言われても、そこまで驚かなかったんです。それは、HAYATO様をテレビで見てるのと同時に一ノ瀬さんと一緒にいて、なんとなく同じものを感じてたというか……」
うーん、上手く言えないです、と春歌は唸る。
「私とHAYATOの歌い方のくせが似ているとも言っていましたね」
「そうなんです。でもそれだけじゃなくて、パートナーとして一緒に課題をやっていたりして、厳しくても私のことをいつも思って下さるところが、HAYATO様がファンのみなさんに対する温かさと同じだなぁと思って」
 そう言う春歌は、とても穏やかな顏をしていた。
 その耳に口を寄せて囁く。今度は本当の私の声音で。「世界でたった一人の私の彼女さん」
「は、はいっ!」
「あなたは今、幸せですか?」
ーどうせ答えはわかっているけれども。
「はい。とっても幸せです!」
ー日だまりのようなあなたの笑顔が見たいのです。
「私も幸せです」
 春歌の柔らかな頬に口付ける。
ーなぜだろう、これから先まだまだ苦難が多いだろうに、あなたと一緒なら無限の可能性を感じるのです。
『世界だって変えられる』気がする。
「ではこの箱は捨てずに取っておきなさい。」
「わかりました」
 段ボールの横に置いてあったMP3プレーヤーを手に取る。
 電源を入れるとたくさんのHAYATOの曲と、BELEAVE MY VOICEの音源が入っていた。
「段ボールは取っておいてもいいですが、このプレーヤーはお預けです」
「えっ……」
 春歌の眉が下がる。
「あなたが聞きたいときには、いつでも歌ってあげますよ。HAYATOの曲もね」
「本当に?」
 今度は笑う。
「えぇ。いつだって生で聞かせてあげます」
「嬉しいです!」
 キラキラ、キラキラ。星屑のような眩しい笑顔を向ける。
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